碧の日記

千綿碧 福岡在住 猫好き

ウクライナ戦争 降伏という主張は間違いだったのか

ロシアがウクライナに軍事侵攻して4ヶ月が経過した。

ゼレンスキー政権は国外に脱出し、キーウは早々にロシア軍に占拠されるだろうという当初の予想に反し、ウクライナは強大なロシア軍に対して徹底抗戦を続けている。

 

私が侵攻の衝撃に圧倒されていた3月頃

ゼレンスキー大統領は降伏して国民の命を守るべきだ

という意見があった。

それに対して、例えば在日ウクライナ人のN氏は

降伏しても国民の命は守れない →徹底抗戦

という主張だった。

日本はアメリカによる占領しか知らないから、降伏すれば戦争状態は直ちに収束すると考えるのかもしれないが、ロシアはそんなに甘くないと言われれば、そうなのか⁉️と思ったりした。

 

日本に住む日本人の私がウクライナの行末を考えても仕方ないのだろうか。

しかし、日本もまたロシアの隣国であり、北方領土を不法に占拠されている状態で、対岸の火事ではない。

今日のウクライナは明日の日本かもしれないし、中国が台湾に侵攻すれば、日本は前線基地だ。

おそらく7月の参院選は与党が圧勝し、現政権が今後3年間は日本の舵をとると予想される。

その間にNATO(=アメリカ)がロシアとの戦闘に参戦し、第三次世界大戦が始まったら?

中国が台湾に侵攻したら?

日本政府はどのような選択をするのだろう。

傍観という選択肢があるとは思えないから、参戦の一択かな・・・

お金・土地・物資の提供、燃料補給等の後方支援、日本人が兵士として戦闘に参加。

参戦の程度を選ぶことはできるのだろうか。

 

私はどうする?

 

約20年前の湾岸戦争の時、当時60代だった父は言った。

「碧は子を連れて逃げろ!」

もちろん、日本が戦場になりそうな場合の話だが、長崎で生まれ育ち10歳のとき原爆を落とされた父には、米軍の戦闘機が飛行するニュース映像は他人事には思えなかったのだろう。

今回のウクライナ侵攻のニュースを見ながら、私は我が子に同じことを言っていた。

もしもの時あんた達は逃げなさい、と。

 

20年前、父に尋ねた。

「私たちが逃げた後、父さんはどうするの?」

日本は島国とは言っても大量の人間が上陸できる場所は限られている。

その場所に携帯ミサイル(スティンガーミサイル的な?)と一緒に自分たち高齢者を配置してもらう。

敵が来たらミサイルを打つ+本部に連絡くらいはできる、との事だった。

その時はふーんくらいに聞いていたが、

togetter.com

こんな記事を読むと、父が言っていたことはあながち間違っていなかったと思った。

そして、私にできるとしたらこれなんだろう、とも。

 

どんなに言葉を尽くされようと、戦争は嫌だし、死ぬのも痛いのも怖いのも不自由なのも空腹も不衛生も嫌だ。

絶対に絶対に絶対に嫌だ。

それはウクライナの人たちも同じだったはず。

でも、ロシア軍は攻めてきた。

 

降伏するか戦うか選択できるなら、私は迷わず降伏を選ぶ。

そして上陸地点の1つにミサイルと通信機器と一緒に配置されることを希望する、と今は思っている。

 

タイで大麻が合法化されたとのニュースを見たが、これってもしかしてアジアが戦場になることを予想してる?と思ってしまった。

日本が戦争の当事国となったら、と考えるだけでもこれほど気が滅入るのだ。

本当にそうなったら、クスリでもやらんと身が持たんだろう。

・・・・・上陸地点の1つに配置される時は、強いクスリも一緒じゃないと無理だな〜

クスリがあっても無理だけど。

平安時代を終わらせた影の立役者 八条院・暲子内親王

私が大好きな『平家物語』の2大姉妹

姉:二位の尼平時子)と 妹:建春門院・滋子(高倉帝の母)

姉:上西門院・統子 と 妹:八条院・暲子

今回は鳥羽院の皇女で異母姉妹の妹、八条院・暲子内親王を取り上げる。

 

私はこの女院こそが貴族の世を終わらせた影の立役者だと思っている。

八条院が貴族の世を取り戻そうと奔走した結果、時代が完全に武士の世となろうとは、女院自身、想像もしなかったに違いない。

 

八条院は父の鳥羽院から愛されたとても賢い皇女だったそうだ。

安楽寿院領をはじめとする多くの荘園を父母から相続した八条院は、自分の役割はその

財産と貴族の世を守ることだと強く認識していたのではないだろうか。

 

具体的に八条院が何をしたか。

まずは財産を増やした。

そして武士勢力打倒のために金を出したのだと思う。

 

kmmc.hatenadiary.com

前回、白拍子財テク(?)について書いてみたが、その中でこの時代を代表する大荘園群として長講堂領と八条院領があると書いた。

その八条院領が八条院・暲子内親王の所領だ。

 

では八条院が誰にお金を出したかというと、まずは養子の以仁王

平家打倒の口火を切った人物だ。

 

そして後鳥羽上皇

承久の乱鎌倉幕府に敗れ、平安時代を終わらせた天皇だ。

 

後白河院の寵愛を得て高倉帝を生み、平家躍進の礎となった建春門院・滋子。

どういうわけか『平家物語』では、我が子を帝位につけるために継子の以仁王を蹴落とした悪女ということになっている。

なぜ以仁王が以仁「王」であって親王じゃないか、というと「親王宣下」とやらを受けていないから。

親王になれそうもない以仁王天皇に即位なんかあるわけないし、彼が親王ですらないのは建春門院は関係ない。

以仁王の母・藤原成子は何人も後白河院の子どもを生んでるようだから、それなりに寵愛を受けた女性だと思われるが、いかんせん実家の援助が頼めないのだろう。

皇子は出家を条件でしか親王にしてもらえなかった。

以仁王は出家の道を選ばなかったわけで、もちろん野心はあるとしても後ろ盾が必要だ。

その有力な後ろ盾が、他でもない八条院・暲子内親王なのである。

 

1180年、以仁王は挙兵して平家打倒の令旨を発するわけだが、この令旨は数多ある八条院領を通じて行われているし、挙兵の資金も出せるとしたら八条院しかいない。

普通に考えて、黒幕は八条院その人だ。

以仁王の挙兵はあっという間に鎮圧され、以仁王は殺されてしまうわけだが、平家の軍勢は八条院の御殿にも押し寄せる。

そりゃあね、スポンサーだし、普通ならタダでは済まないが、なーんと八条院は養子にしていた以仁王の遺児を差し出すことで事なきを得てしまう。

挙兵が失敗した以上、以仁王の息子には死か出家以外の選択肢はないし、幼子は殺さないのが平家だから、多額の賄賂を添えて助命を嘆願したんだろうな、とは思う。

でもね〜〜〜

平家物語』では八条院はものすごくいい人として描かれていて、なんだかどうも釈然としない。

もちろん悪い人ではないだろうが、もっとこう意志のあるシャキッとした女性だと思うのだけどな。

 

以仁王が出した平家打倒の令旨に応える形で木曾義仲が挙兵し、平家は都を追われることとなる。

その義仲も源氏に討たれ、逃げた平家も源氏に討たれ、義経もまた源氏に討たれ・・・

源氏の頭領は遠く離れた鎌倉に幕府を開いたため、京の都は平家が台頭する以前の賑わいを取り戻したのだろうか。

もしそうなら、八条院はとても満足して人生を終えたに違いない。

両親から相続した財産を増やし、それを使って貴族社会を混乱させた武士たちを取り除き、最後は天皇に即位した後鳥羽院の皇女に自分の財産を相続させた。

娘の財産は親のものだから、実質的には後鳥羽院に譲ったとも言えて、この経済基盤を背景に承久の乱を起こすことになるわけだが、それは八条院が亡くなって10年ほど後の事。

 

八条院自身は、財産と貴族の世を守るという自らに課された使命を全うし、満足して旅立つことができただろう。

それとも、動き出した歴史の流れは止めようもなく、穏やかな平安の時代から血で血を洗う戦乱の世の中へのうねりを感じながら息を引き取っただろうか。

 

 

 

女院の存在意義と平安時代の娘相続 白河院と中宮・璋子の噂の真相

内親王女院は、天皇家の財産を外に出さない為に作り出された存在ではないか、という話。

 

平家物語』にはたくさんの女院が登場するが、フィクションではなく実在の方々だ。

そもそも女院とはどういう方かというと、「院」または「門院」の称号を受けた女性である。

一条天皇が母である皇太后に対して「院」の称号を贈り上皇に準ずる待遇とした親孝行から始まったようだが、次第に国母か否かにかかわらず太皇太后や皇后といった高い身分の后妃にも贈られるようになる。

白河院天皇の配偶者だけでなく天皇の娘である内親王にも院号を授け、鳥羽院の皇女で大富豪となった八条院・暲子内親王に至っては形だけの后位すら経ることなく女院になったため、後白河院の治世ではあっちにもこっちにも女院がたくさん‼️ということになったらしい。

 

何だってそんな女院がいっぱいになったかと言うと、

平安時代の相続権は主に娘にあったからではなか。

 

もう少し詳しく書いていきたいと思う。

 

院の称号というのはただの飾りではない。

上皇待遇とするだけの財政基盤が与えられ、女院庁を設置して別当などの役人も配置される。

女院の範囲が拡大したのは、天皇の妃に加えて娘も院号の対象とした白河院から。

白河院は何をした人か、というと院政を始めた方だ。

それまでは摂関政治天皇の母方の親戚が政治を担っていたが、白河院院政によって皇族に政治権力を取り戻した。

その過程で、財政基盤となる荘園管理を刷新(?)した結果、天皇家は莫大な資産を有することになる。

現代の感覚だと、そのまま次の天皇が相続すればいいじゃん!と思うが、母系社会を基礎とする平安時代はそうはいかない。

母系社会は母から娘に財産が相続され、父系社会は父から息子に相続される。

私たちは父系社会に生きいて、何となく父から息子に相続されるのが当然のように思っているが、少なくとも平安時代の貴族社会では父母の財産は娘が相続したそうだ。

(母系社会である平安時代を研究する時、母が誰かが大事なのに、母に関する記述が手薄で難儀するとかしないとか。)

 

白河院皇位を譲った堀川院、次の鳥羽院に資産も継承させたかったかどうかはわからないが、少なくとも天皇家の資産を外に出さないことを目指したはずで、具体的には養女にした待賢門院・璋子を鳥羽院中宮とし、璋子に相続させた資産を鳥羽院の管理とする形で実現したのだと思う。

 

ウキペディアにも記載されているが、璋子と白河院は特別な関係で、璋子の子・崇徳院は実は白河院の息子ではないか、といかにもな感じの下世話な噂があったようだが、そんなヘンな噂が立つくらい白河院にとって璋子は大事な存在であった証拠とも考えることができるし、璋子と摂関家の婚姻に難色を示したのも説明がつく。

天皇家から財産を出したくないのに、養女の璋子が摂関家の息子と結婚したら、璋子が白河院から相続する財産は摂関家のものになってしまうわけで、そんな結婚に賛成できるはずがない。

 

白河院はの媞子内親王院号を授けたが、悲しいことに媞子内親王は若くして亡くなってしまう。

先に書いた通り、女院になると女院庁という官僚機構を有する一つの組織ができる。

白河院は莫大な資産を娘に相続させるにあたり、その資産管理を行う実務方として女院庁を設置し、今で言う宮家の立ち位置にしたかったのかな〜などと想像する。

(この時代は宮家は存在しなかったらしい)

 

白河院の構想(?)は孫の鳥羽院の時に花開き、八条院という極めて政治的存在の女院が出現したのだと思う。

 

 

時子・清盛夫妻 跡取り娘は誰? 小督の立ち位置など

時子・清盛夫妻の跡取り娘は、冷泉隆房の妻だった娘さんなのだろう、という話。

なぜならば、「小督」の話は変だから。

 

平家物語』で高倉帝の悲恋として描かれる「葵の前」と「小督」。

普通に考えると、天皇の必須のお仕事は子作りで、そのお役目を高倉帝はきちんと果たしておられただけで、葵の前を悲恋としたのは彼女が恐らくは出産のために亡くなったからだろう。

物語では清盛が2人の娘婿(高倉帝と冷泉隆房)を手玉にとったとして小督に怒りを向けたとされているが、実際に清盛が怒ったとしたら、その相手は娘婿の隆房だと考える方が色々と納得がいく。

 

葵の前と小督は共に後の建礼門院中宮徳子に仕えた女房で、共に高倉帝の寵愛を受け、前者は亡くなり後者はスッタモンダの末に皇女を出産する。

小督は宮中一の美女で琴の名手。

葵の前をなくして悲しむ高倉帝を慰めるため、中宮が遣わしたのが小督だったが、小督には隆房という恋人(?)がいて、娘婿の隆房が失恋したと悲しむのを聞いた清盛が小督を怒り、清盛の怒りに恐れをなして小督は失踪するが、得意の琴の音をたよりに高倉帝が探し出して2人は結ばれ、姫が生まれたとなっている。

物語の中でもしっかりと小督は中宮徳子自身が高倉帝にすすめてたとされていて、それなのに清盛が小督を怒るのはおかしい。

そこで考えた。

葵の前が実在か否か分からないが、小督と姫は事実で、徳子が安徳帝を出産する前の出来事だ。

嫁いで以来さっぱり妊娠の気配がないことから平家としては徳子の懐妊を諦めたとしても不思議はない。

そこで、徳子に仕える女房を高倉帝に差し出し、徳子にゆかりのある皇子誕生へ方針変更していたのではあるまいか。

次期天皇となるには、確かに母の血筋は大事だが、それ以上に誰が後見についてくれるかが大きいわけで、徳子ゆかりの皇子を徳子の養子として平家が後見する形で即位させる。

できれば時子・清盛夫妻の娘に娘を生んでもらい、その孫娘を高倉帝の次の天皇に嫁がせて・・・という感じに。

 

「葵の前」の章も「小督」の章も、不自然なくらい隆房の名前が出てくる。

葵の前には高倉帝が書いた和歌を届けさせ、小督に至っては小督にまとわりつくストーカーのような元カレとして描かれていて、その不自然さが返って真実味を感じさせる。

どうやら小督への恋歌を集めた歌集『隆房集』があるそうなので、隆房の小督への執着は相当なものだ。

平家物語』では清盛の怒りに恐れをなした小督が失踪したことになっているが、完璧に姿を消すなんて女性1人にできることではないし、都合よく高倉帝だけに居場所が知れるのは、さすがに都合が良すぎ。

実際のところ小督を隠したのは清盛で、清盛が小督を隠したのは、万が一にも小督が生む御子の父性を疑われないためであり、隆房には自分の娘との間に子どもをもうけてもらわないといけないから、と考えると筋が通るように思うのだが。

 

平家物語』によると清盛には8人の娘がいる。

・花山院の左大臣藤原兼雅の妻

建礼門院・徳子

・摂政藤原基実の北政所(正妻)白河殿・盛子

・普賢寺殿藤原基通北政所

・冷泉の大納言藤原隆房の北の方

・七条の修理大夫藤原信隆の妻

厳島神社の巫女との娘(徳子の代わりに後白河院に嫁がせた娘さん?)

常盤御前との娘で花山院女房の廊の御方(義経の異父妹?)

これが生まれが順番なら、徳子から冷泉隆房の北の方までが時子の娘かな。

 

平安貴族の一般的な家系存続の軸は、婿取り婚だったと思われる。

① 娘に婿をとる

② 婿の出世を助けて一族繁栄

であれば、結婚当初は妻側が地位や財力が上なのが基本だろう。

源氏物語』の光源氏も、最初の正妻は左大臣家の娘・葵上で妻の実家の援助を受けて出世の足掛かりとしている。

 

貴族社会トップの天皇家と、臣下団トップの摂関家は例外的に嫁取り婚だったのかな?

何せ一番上だから、地位や財力で上回る家が他にあまりなく、構造的にそうなるしかない。

 

天皇家摂関家は嫁取り婚、それ以外の貴族の大多数は婿取り婚だと仮定すると、摂関家ではない平時子・清盛夫妻は婿取り婚で、跡取り娘は誰か?

消去法で冷泉隆房の北の方ということになる。

時子が生んだ娘は4人で、上の3人は天皇家摂関家に嫁いだとなると末娘しか残らないからだ。

 

平家物語』の時代にあった保元の乱は、次の天皇をめぐって後白河と崇徳兄弟が争った戦だが、崇徳の舅にあたる藤原忠通卿は自分の娘婿ではなく、対立相手の後白河側に付いた。

詳しい事情は知らないが、娘である中宮に子どもが生まれなかったのは大きな理由らしい。

天皇外戚になるには、娘が皇子を生み、その皇子が天皇に即位しなければならないが、肝心の皇子が生まれなければどうしようもない。

崇徳が勝って彼の皇子が天皇に即位しても、その皇子は忠通卿の孫ではないから崇徳側についても意味がないというわけだ。

崇徳の中宮・藤原聖子にしろ平徳子にしろ、懐妊に対して想像を絶するプレッシャーがあったと考えると、高貴な家に生まれるのも楽じゃないな〜と思う。

 

 

 

 

 

 

平家物語  祇王は悲劇の女性か

私が平家物語に惹かれるのは、平家にスポットライトを当てつつ、たくさんの登場人物による群像劇でもあるからだと思う。

その中で、描かれ方が画一的な分、想像の余地も大きい女性たちに注目してみたい。

 

今回は祇王と仏御前について、主に経済的視点(?)から考えてみたい。

 

祇王の物語は『平家物語』の序盤、個人的にはかなり唐突に始まる。

平清盛は好色なだけでなく残酷な人物ですよ〜という趣旨だと思うが・・・

 

もう少し具体的に書くと

祇王も仏御前も白拍子である。

白拍子とは当時の最先端の芸能で、祇王白拍子のトップスターだったが、それゆえ清盛の目に留まり、屋敷に囲われる。

数年は寵愛を受けるが、仏御前という新人の出現であっさり捨てられ、屋敷も追い出されてしまう。

それだけでも十分ひどいが、追い打ちをかけるように「仏御前が退屈しているから慰めに来い」と呼びつけられ、下座に置かれる等の仕打ちを受ける。

心底傷付いた祇王は、母・妹と共に出家。

しばらく後、祇王一家を訪ねる者が・・・髪を下ろした仏御前だった。

(仏御前もまた清盛に捨てられた、というわけではなく、仏自身が清盛を見限って逃げ出してきたのだが。)

という感じ。

 

話を聞くと、祇王も仏御前もかわいそう😭なのだが、頭の隅で常に人生すごろく上がりを探す私は、

祇王も仏御前も結構いい感じの上がりじゃね?

とも思ってしまった。

 

出家して4人仲良く念仏を唱えて、無事に往生の本懐を遂げました、めでたしめでたし👏

でもさ、念仏を唱えても空腹は満たせないじゃない?

冬は火も使うだろうし、炭は? お風呂は? 着るものは?

出家すれば自動的にそれらを誰かが調達してくれるわけじゃないよね?

ということで、もう一度よく読むと

祇王3年間清盛から寵愛を受けた

・その間、毎月百石の米と百貫の銭が贈られた  とある。

百石の米と百貫の銭がどれほどかを調べてみると、こんなサイトが見つかった。

www.bunka.pref.mie.lg.jp

こちらによると、大雑把に言って

1石=1貫

1貫=24,000円

という事で、

100石+100貫=200貫

200貫=480万円/月

これが3年だから 480万円✖️36月で1億7280万円‼️

なかなかの額だ。

ピケティ先生を参考に、このうちの例えば1億5000万円で荘園を買って毎年5%の利益を得られるとしたら、年収750万。

母娘3人で十分に暮らして行ける。

これに仏御前が5000万円プラスしたら、4人で年収1000万円。

それなら往生の本懐を遂げる経済基盤がはっきりして、私としては大いに納得がいく。

 

・・・・・穿った見方になるけど、本当に祇王は清盛に捨てられたのかな?

祇王が計画的に仏御前を清盛に引き合わせて、自分を捨てるように仕向けてない?・・・と思って平家物語祇王の章を読むと、そう見えてくる。

いきなり営業をかけてきた仏御前を、清盛は追い返そうとしたのに、祇王がどこか強引に迎え入れて芸能を披露させ、結果、自分は捨てられる。

その後の仏の退屈を慰める、というのも事前に仏御前とそのように打ち合わせていて、世間が

「そんなひどい目にあったら、そりゃあ出家しちゃいますよね」と納得する仕掛けとも取れる。

現代の女性アイドルグループではメンバーが「卒業」していくように、平安時代白拍子として売れっ子の時間はそんなに長くないのかもしれないし、そもそも儲かる商売なのだろうか。

ならば大金持ちにスポンサーになってもらってある程度の蓄財ができたら引退してのんびりと余生を送る、というのはそんなに悪い話じゃない。

むしろトップアイドルだからこそ可能な夢のアーリーリタイアではないのか。

 

平家物語自体が実話を元にしたフィクション、中でも祇王の物語は祇王だ仏御前だと名前からして完全に作り話だろうと思われる。

その全面フィクションの一番最後

「長講堂の過去帳に4人が同じ所に記された」で終わる。 

長講堂だって、長講堂!

聴衆に「もしかして、あの?」って思わせてない?

 

長講堂領は八条院領と共に中世日本を代表する大荘園群。

長講堂領は後白河法皇から丹後局との間の娘に相続されるのだが、母である丹後局はこの娘の莫大な資産を背景にして政治的に大きな発言力を持っていたわけで。

私が祇王は清盛からもらった財産で荘園を買ったのかな〜と思ったのは、まさにこの長講堂の文字を見たから。

違うかな?

違うんだろうな〜

でも、いい。

そんなこんなを考えるのが平家物語の楽しみだから❤️

 

 

 

ロシアのウクライナ侵攻と孔明の北伐

三国志で有名な孔明の北伐。

諸葛孔明ほど優秀な人なら、普通に考えて魏には勝てないし、だからこその「天下三分の計」だったわけで、度重なる北伐は自殺行為だと分かっていただろう。

だから、私はずっと北伐が謎だった。

いずれ魏が攻めてきたとしても、北伐なんかしないで国力を高めていれば蜀はもっと存続したし、魏は政変が起こったりするのだから、何がどう転んだかわからない。

 

今回のロシアによるウクライナ侵攻を目の当たりにして

戦いを始めると、完敗するか闘う相手がいなくなるまで終われないのかな、と思った。

日本は先の大戦で完膚なきまでに叩きのめされて戦う事をやめたが、日本を叩きのめしたアメリカは戦場を朝鮮半島に移し、更にベトナム戦争にも乗り出し、そこで負けてようやく勢いは止まったが、それでもずっと戦い続けている。

ロシアが戦争をやめない理由の何割かは、独裁体制と完敗していないからではないかと思えて仕方がない。

 

孔明は魏に戦いを挑む北伐の前に、蜀の内側を固めるための南征を行なっている。

敵将の孟獲を7回捕らえて7回解放したという「七縦七擒」が有名で、力を見せつけて心服させたとか、孔明の懐の深さを示すとか言われるけど、私は北伐をできるだけ先に引き伸ばすために、戦力で圧倒する相手をわざと逃して、南征を長引かせて時間を稼ぎたかったんじゃないかと疑っている。

 

しかし孔明の予想…じゃなくて私の憶測に反して南征はそんなに長引かなかったばかりか、弱い相手に何度も勝つことで結果的に成功体験を重ねることになり、その成功体験が逆に蜀の国民を度重なる北伐へと勢いづかせてしまったのではなかったか。

北伐は避けられないとして、三国の中で最弱の蜀が最強の魏に対し勝機があるとしたら最初の一戦、と孔明は考えたに違いない。

魏の内部に寝返りを画策し、囮を立てて2方面からの進撃という北伐の中で最も凝った作戦は、これでダメなら魏には勝てないと観念する覚悟で練りに練ったことだろう。

第一次北伐は、それでも負けてしまうわけだが・・・

仮に馬謖が山に布陣しなくても最終的には勝てなかっただろう。

それでも敗戦の責任は誰かが取らねばならず、孔明自身が死ぬわけにはいかず、泣いて馬謖を斬るしかなかったのかもしれない。

北伐は断念して蜀の内政に努め、天下三分の計をより強固なものにしたらよかったと無責任な後世の人間は考えたりする訳だが。

しかし北伐は続く。

孔明を失ってなお止まることはなく、そうなるともう誰か単体の意志などではない誰にも止められない大きな力が働いているようにさえ思えてくる。

 

ウクライナ侵攻はいつどのように決着するのだろう。

仮にプーチン大統領に何かあったとして、それで侵攻は止まるのか。

西側諸国はロシアを徹底的に敗北させることができるだろうか。

 

 

好きの反対は嫌いではなく無関心

 

好きと嫌いの距離は近いんだろうな〜という話。

 

私は『平家物語』が嫌いだ、と思っていた。

なぜなら登場する女性たちがどうにも薄っぺらに感じられるから。

ほとんどの女性が男性にとって都合のいい奥ゆかしい美女ばかりの世界観にうんざりしたのだが、嫌いだという結論に至るまでには結構な時間を要した。

ずっと違和感があったが、その正体がわからず何冊も本を読み、原文にあたってみたりもしていた。

ようやく私は平家物語が嫌いなんだと思い至りホッとしていた頃、『平家物語』が大好きだと仰る人と雑談する機会があった。

読んだことがあるかと訊かれたので、「あります。読んでいて小松殿? 高倉の宮? と時々わからなくなることがありました」と答えると、

「高倉は天皇建礼門院徳子の・・・・・」と話だした。

おそらくその人は原文を読んだことはないのだろう。

(ちなみに、原文で小松殿は重盛、高倉の宮は以仁王のこと。)

平家物語は女性の描き方がアレなので嫌いです」とは流石に言えないので平家物語あるあるで誤魔化したつもりだった。

その時…なーんだ原文も読んだことないのかぁ…と思ってしまった自分が、今となっては恥ずかしい。

いやもう本当にごめんなさい🙇‍♀️

自分はネコが好きだと公言して憚らないが、ネコに関するいかなる専門書も読んだことはないじゃないか。

飼い主として知っておくべき病気の知識ですらかなり怪しいくせに、他人に対して平家物語が好きなら原文を読んでるだろうと考えるのは筋が通らないし、ものすごく変だ。

そういえば古典文学で自ら進んで原文を読んだのは平家物語くらいで、そもそもどうして平家物語「だけ」わざわざ原文をあたってみようと思ったのか・・・・・

ただ、どうしても平家物語への違和感が引っかかって、その気持ち悪さを何とかして解消したかっただけで・・・・・・

え? 

実は私、めっちゃ平家物語が好きだったりする?

えーーーー マジか・・・・・ なんか嫌だ 恥ずかしい。

 

まぁ でも 確かにね・・・・・

 

kmmc.hatenadiary.com

ここで書いた元町内会長のGからは、メンタルクリニックを受診するほどパワハラ・セクハラを受けたのだけど、だからといってGに対しては嫌いという感情は浮かばない。

あえて表現するなら、決して交わることのない別々の世界で生きていきたい、という感じかな。

現実はそうはいかず、何せ近隣住民なので姿を見かけることはあって、ゲー🤮となったりするけれど、それ以外では忘れているし、とにかく絶対に関わりたくないだけで、どうしてGはあんな言動をしたのかとか考えないし、知りたいとも思わない。

要するにGに関心は一切ない。

 

なるほど好きの反対は嫌いではなく無関心とはよく言ったものだ。