碧の日記

千綿碧 福岡在住 猫好き

女の人生すごろく 上がりは何?

人生の目標が何か、私はずっと分からなかった。

自分にとって何が大事か自覚できずにズルズル生きてきた。

人生の折り返しを過ぎて、それがお金だとようやく分かった。

 

 

こちらは1994年創刊とのこと。

私は92年に学部を卒業したので、内容は覚えていないがきっと読んだに違いない。

この頃の女の上がりは確かに結婚だった。

 

それから14年後に出された同じタイトルの本がこちら

 

女の人生すごろく

女の人生すごろく

Amazon

リーマンショックの直前に出版されたようだが、この時の上りは何だったのだろう?

今は2022年だから上記の本から更に14年経過したことになる。

小倉さんの本からだと28年。

昔小倉さんの本を読んだであろう自分の年齢に我が子がなろうとしている。

今の若者、特に若い女性たちは人生の目標をどこに定めているのかな?

 

明治・大正・昭和の中頃まで、女の上がりは結婚で、人生の目標は当主の母になることだった。

私の好きな中国ドラマだと太后、韓国ドラマなら太妃。

妻では不十分だが、母となればたとえ息子と折り合いが悪くともその地位は揺るがない。

当主の母になるためには、現当主の妻となり息子を生まなければならない。

そのため女性には、夫の親に気に入られ夫から愛されるために、美しさ優しさ奥ゆかしさ忍耐力そして妊孕性が求められた。

それらの幻影がいまだに女性たちを苦しめているのだが、当時は女の幸せに繋がる要素であったのだろうと思う。

そこまではなんとなく理解していたが、平成以後はさすがにこの価値観で人生があがれる時代ではない。

では何を目標にしたらいいのか・・・・・

 

お金だな〜と思い至るきっかけが中国・韓国ドラマだった。

度々登場する安定の太后様・太妃様を見ながら、ふと日本で太后・太妃にあたる名称は何だろう?と思った。

そこで平安時代天皇の母のを調べると女院という単語が出てきた。

女院というと『平家物語』に登場する八条女院が真っ先に浮かんだ。

実はこの方、相当のお金持ちだったらしい。

彼女は天皇の母どころか結婚も出産もしていない皇女(後白河法皇の妹)で、『平家物語』では高倉帝の母と対照的な女性として描かれている。

皇女は他にも居るはずなのに彼女の存在感はとても大きい。

なぜか。

八条女院は養子・養女がたくさんいて、その子どもを介して度々物語に登場するからだ。

ではなぜ八条女院にたくさんの養子・養女がいるかというと、どうやら彼女が大富豪だったため、それをあてにして?多くの子どもが養子となったようなのだ。

お金と言えば、後白河法皇平清盛の仲が悪化するきっかけの1つに、後白河法皇が清盛の娘の財産を没収したというのがある。

建礼門院徳子の妹の盛子は、幼くして藤原家に嫁ぎ、夫はほどなく亡くなったため藤原家の莫大な財産を相続したのだが、その盛子も若くして亡くなると今度はその財産を後白河法皇が没収してしまう。

この時代の相続ってどうなってんの? という感じだが、それ以上に普通に女性に相続権があるんだなぁと思った。

 

明治以降、日本の女性の立場が極端に弱くなったと思うのだが、その理由の1つに相続権の有無があると考えている。

例外はあるにしても、家督相続ということで主な財産は父から息子へ、男性から男性へと受け継がれた。

(更に明治民法下では婚姻によって女性は無能力者とされ、つまり小学生の子どもと同じ扱いとされたため社会参加が事実上できなくなってしまう。)

「誰のおかげで飯が食えてると思ってるんだ」がDVの常套句となり得るのは、経済力が人間関係や社会において絶大な力となるから。

 

ピケティさんが膨大な資料を提示して示した 

 r>g  

リターンはグロースを凌駕して、成長率は資本収益率に及ばず、相続で得る財産は稼ぎで得る財産を上回る。

であれば、相続権の有無は稼得能力以上に個人の経済力にとって大きな要素となる。

ちなみに八条女院が持つ財産は、ひとりで平家全部に匹敵する所領だった(脇田晴子著『中世に生きる女たち』より)そうだ。

 

同じ時代、あの女性も富豪だったんだよなぁ〜と思い出す。

平家物語』が尼将軍・北条政子に触れないのは有名な話だが、同じく悪評高い?丹後局こと高階栄子(たかしなえいし)もほとんど存在感はない。

丹後局後白河法皇晩年の寵妃で、彼女が政治で辣腕を振るったのは主に後白河法皇の死後だったのかもしれないが、ではなぜ身分で劣る女性の丹後局が権力者の夫という後ろ盾を失ってなお政治力を持ち続けられたのかというと、

娘である皇女が相続した膨大な財産によって大きな経済力を持っていたからとされている。

 

そっかお金か〜と思った。

私が欲しかったのは揺るがない何か、他者に依存しない何か、自分でコントロールできる何かで、その全てをお金は満たしてくれることをしみじみと自覚した。

結婚する必要がなかった八条女院

寡婦となっても政治的影響力を持ち続けた丹後局

平安末期、揺るがない2人の女性が共通して手にしていたのは経済力だった。

ならば私が目指すべきも経済力だ。

 

ということで目標はお金・経済力だと定まった。

それも普通に生活できるだけの経済力というささやかなもの。

そんなに難しくなさそうな感じがしたが、どっこい具体的にどうしたらいいのか、私には皆目見当がつかない。

目標が決まればそれに向けて一直線‼️ とはいかず・・・・・現実はそんなに甘くない。

 

 

 

モテるということ

私はモテたことがない。

 

comemo.nikkei.com

こちらのコラムによると恋愛強者は3割だそうで、なるほど恋愛弱者の私はそりゃモテないはずだ(笑)

それまでは特にモテるモテないを気にしなかったのだが、約10年前、フワッと想像していた「モテる」と現実の「モテる」は違うのでは? と思うことがあった。

 

当時の自治会長、私は「ゲス不倫」の頭文字を取って彼をGと命名した。

クジでハズレて子ども会の会長となってしまった私は、町内会の役員の1人としてGと関わることになった。

懇親会という名の飲み会で、Gの周りはなぜか女性ばかりが配置された。

女性陣が気を遣って持ち上げたためか、Gは現役会社員時代の不倫を自慢げに話し始めた。

どうやって女性を口説いたか、相手の女性がどれほど魅力的だったか、辺りまでは我慢して聞いたが、女性が家を出て自分と同棲するようになった(当時Gは単身赴任中)、女性が妊娠したので堕胎させた、と話が進むとさすがに耐えられなくなった。

そういう話はやめて欲しいと言うと、何を勘違いしたのか、作り話ではなく真実だと、そのために起こった事件について語り始めた。

その事件を知っている人がその場にいたために話はとても盛り上がり、別の女性との不倫やその女性との子どもの話が出るなどGは嬉々として話し続けた。

明らかに不機嫌な私にGは言った。

「千綿さんはモテないだろうね」

私は驚いた。

聞くに耐えないゲス男の不倫話がGのモテ自慢の文脈で語られていた事に、その時ようやく気がついたからだ。

私は深く大きく頷いて言った。

「まったくモテませんでした」と。

私はそれまでモテるというのは、人気があるとか、自分が好意を寄せる相手から好かれやすいとか、そんなフワッといい感じな状況だと思っていた。

しかし、そこで現実に突きつけられたのは、

油ぎった気持ち悪いオヤジが手を出したい女=モテる女

と言う地獄の定義だった。

Gにモテないだろうと言われた時、私は心の底からモテなくてよかった〜と思った。

モテなかった自分を全力で褒め称えた。

モテなかったおかげでGみたいなゲス男と関わらずに済み、ゲスのために自分の貴重な時間を浪費しないで済んだのなら、非モテ万々歳じゃないか‼️

 

この時の態度が気に入らなかったのか、その後Gから度重なるパワハラとセクハラを受け、私は軽く心を病んだ。

町内会に加入している限り、いつまたクジやら順番やらで役員となり心身を害するか分からないと考え、子ども会会長の任期満了と同時に町内会を脱退した。

とはいえ、同じ地域に暮らす以上Gの姿を目にすることがある。

もちろん嫌なことを思い出しそうにもなるけれど、それ以上に若いキラキラした時期にこんなのと関わらずに済んで本当によかったと思う。

非モテの私、万歳‼️

 

 

 

卒婚

卒婚したいと思っている。

 

主婦であること、母であることからの卒業だ。

子どもが高校を卒業したら、まず母を卒業する。

夫には感謝しているし嫌いとか一緒にいたくないとかではないが、とにかく1人になりたい。

老いた双方の親に無用の心配はかけたくないし、無関係の他人に余計な詮索をされるのは面倒だし、再婚するつもりもない。

となると、離婚する理由が見当たらない。

もちろん夫が離婚を望むなら応じる。

 

家族や友人、健康、平和な社会などお金で買えないものは多い。

それらを享受できている今に、心から感謝している。

 

とはいえ卒婚にはお金が必要だ。

別居して夫に婚姻費用を請求する、てなことは私にはできない。

幸いなことに健康だし、高齢女性にも就業の機会がある社会で生きているので、自分ひとり食べていくくらいは頑張って稼ごうと思う。

ずっとフルタイムで働きたいと、働くものだと思っていた。

学生の頃は、まさか自分が専業主婦になるなんて夢にも思わなかった。

50歳を過ぎて正規で働くのは難しいかもしれないが、とにかく頑張ろう。

 

前向きな気持ちになれるのは、金融資産の存在が大きい。

お金で買えないものは確かにあるけど、お金で解決できる事も多いと思う今日この頃。

 

資産形成で1番大切だと思う事

資産形成は少なくとも2段階ある、と私は思う。

① 種を作る

② 増やす

30年前から株式投資をしているけれど、最初の10年はまったく資産は増えず、次の10年は家事育児でパソコンを開く余裕すらなかった。

あることがきっかけで投資を再開したところ、10年で金融資産だけで2500万円ほどになった。

最初の10年まったく成果が出なかった理由は①がやれてなかったから。

ぶっちゃけ普通に働いているなら、②はやらなくて①をしっかりやってたら人生でお金に困らないし、逆に①をなおざりにして②ばかりに注力しても、かけた労力に見合う結果を得るのは難しい場合が多々あるのではないだろうか。

少なくとも、私はそうだった。

だから私は資産形成で1番大事なのは、種銭を作る事だと思う。

 

その方法はいたって簡単。

収入の一部を貯める

それだけ。

 

当然、株を買うには資金が必要だから、株式投資を行うにあたり種銭を用意しない人はいないとして、種銭を作り続ける人はどれくらいいるのだろう。

私はそこが大事だと思っている。

従ってより正確に書くと、資産形成で1番大事なのは

種銭を作り続ける事だと思う。

 

収入の一部とは具体的にどれくらいかというと。

この本では

「稼いだものの10分の1を取っておく」 とされている。

 

こちらでは

「4分の1天引き貯金法」 と言うことで、収入の25%。

 

私が見た中で最も高い割合だったのはこちら。

 

脅威の40%超え‼️

そりゃ1000万円くらいすぐ貯まりましょうよ。

 

と言う感じで、貯める割合はそれぞれだが、大事なのはとにかくお金が入ったらまず分けること。

10%は残そうじゃなくて、まず最初に決めた割合を取り分けるのだ。

 

私は当初、それで何か変わるとは思えなかった。

でも、10年以上の時間と多くの労力を、シミュレーションプログラムの作成とデータ解析、有価証券報告書四季報の読み込みに充てたが、それに見合う成果はあげられなかったし、他の方法も分からないし、ダメでも損はしないし、でとにかくやってみることにした。

 

10%で始めて、最終的には20%をまず貯めるようになった。

これは習慣となって現在も続けているのだが、その結果どうなったか。

『バニロンの大富豪」で

・・・なぜそうなのかは分からないのですが・・・間もなく、以前よりも金が簡単に手に入るようになったのです。

と言うくだりがある。

私も同じような感覚がある。

なぜだか分からないけれど、1年後には気持ちに不思議な余裕のようなものが生まれていた。

あの感じは、言葉で説明するのが難しい。

明確な根拠は示せないけど、とにかく私は大丈夫だ、みたいな。

軸が定まるとその他も自然と整い、運も大いに味方してくれるようになった。

特に頑張ったとか節約をしたという意識はなく、何もしていないのに気がつくと(3年弱くらい?)100万円以上貯まるようになり、それを高配当株に投資して、配当金も合わせて貯めて、一定額になったらまた高配当株を買う、を繰り返した。

資産が1000万円を超えたのはいつだっただろう。

主観的な印象だが、評価額を計算するたびに資産額が増えていったように思う。

 

私は老齢年金の支給開始まであと12年。

このまま続けていけば老後資金2000万円はクリアできそうなので、少しホッとしている。

もっとも藤巻健史さんが警告されているように日本がハイパーインプレに見舞われたらいっかんの終わりなのだけど。